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最高裁判所第三小法廷 昭和48年(行ツ)86号 判決

上告人

株式会社ホンリユー・コーポレーシヨン

右代表者

居村方治

右訴訟代理人

伊藤信男

外二名

被上告人

横浜税関長

金元功

右指定代理人

蓑田速夫

外八名

主文

原判決を破棄する。

本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人伊藤信男、同本間忠彦の上告理由について

論旨は、関税定率法二一条三項所定の税関長の通知並びに同条五項所定の税関長の決定及びその通知はいずれも抗告訴訟の対象たるべき行政庁の処分に当たらないとした原判決には、法令の解釈適用を誤つた違法がある、と主張する。

そこで、この主張の当否について検討する。

一原判決によると、上告人の本訴請求は、「被上告人は、昭和四四年五月三一日、上告人に対し、上告人の輸入申告にかかる書籍『サン・ワームド・ヌード』三九二冊につき、関税定率法二一条一項三号に定める輸入禁制品に該当するとの同条三項の規定による通知をした。上告人は、これに対し、同条四項の規定による異議の申出をしたところ、被上告人は、同年八月二五日、右異議の申出を棄却する旨の同条五項の規定による決定をし、同月二九日これを上告人に通知した。しかし、右三項の規定による通知並びに右五項の規定による決定及びその通知は不当なものであるから、その取消を求める。」というのであり、被上告人は、右事実関係についてはこれを争つていないものである。

二関税定率法二一条及び関税法第六章の規定の趣旨にかんがみると、関税定率法二一条三項の規定による税関長の通知は、当該輸入申告にかかる貨物が輸入禁制品である「公安又は風俗を害すべき書籍、図画、彫刻物その他の物品」に該当すると認めるのに相当の理由があるとする旨の税関長の判断の結果を表明するものであり、かつ、同条二項の規定と同条三項ないし五項の規定とを対比して考察すれば、右のような判断の結果を輸入申告者に知らせ当該貨物についての輸入申告者自身の自主的な善処を期待してされるものであると解される。同条五項の規定による税関長の決定及びその通知も、規定の文言上は同条四項に定める異議の申出の当否についての税関長の応答的行政処分及びその告知であるかのようであるが、右異議の申出は、右三項の通知が税関長の判断の結果の表明であることに伴い、輸入申告者において税関長の右判断につき再考を促す旨の意見の表明とみるべきであり、したがつて、これに対する税関長の決定も、輸入申告者の意見の表明にもかかわらず税関長としては従前の判断を改めることなくそのまま維持する趣旨の判断の結果又は輸入申告者の意見の表明を契機として従前の判断を改めた新たな判断の結果を表明するものにすぎず、その法律的性質において右三項の通知と特に異なるところはないもの、というべきである。そうすると、右三項の規定による通知並びに右五項の規定による決定及びその通知が行政庁のいわゆる観念の通知とみるべきものであることは、原判決の判示するとおりである。

三しかしながら、輸入禁制品について税関長がその輸入を許可するものでないことは、関税法六七条、七〇条、七一条、七三条、関税定率法二一条等の規定に徴し明らかである。そして、税関長において、輸入申告者に対し、関税定率法二一条三項の規定による通知をし、又は、更に、輸入申告者からの異議の申出にかかわらず先の通知に示された判断を変更することなく維持し、同条五項の規定による決定及びその通知をした場合においては、当該貨物につき輸入の許可の得られるべくもないことが明らかとなつたものということができると同時に、関税定率法二一条の規定の趣旨からみて、税関長において同条一項三号に該当すると認めるのに相当の理由がある貨物について、税関長が同条三項及び五項に定める措置をとる以外に当該輸入申告に対し何らかの応答的行政処分をすることは、およそ期待され得ないところであり、他方、輸入申告者は輸入の許可を受けないで貨物を輸入することを法律上禁止されている(関税法一一条参照)のであるから、輸入申告者は、当該貨物を適法に輸入する道を閉ざされるに至つたものといわなければならない。そして、輸入申告者の被るこのような制約は、輸入申告に対する税関長の応答的行政処分が未了である場合に輸入申告者がその間申告にかかる貨物を適法に輸入することができないという、行政事務処理手続に伴う一般的・経過的な状態下におけるものとは異なり、関税定率法二一条三項の規定による通知又は同条五項の規定による決定及びその通知(以下「関税定率法による通知等」という。)によつて生ずるに至つた法律上の効果である、とみるのが相当である(なお、前記のとおり税関長の判断の結果の表明である関税定率法による通知等により、輸入申告者が、それまで関税法六七条の規定により負つていた義務、すなわち、貨物の輸入については税関長の許可を受けなければならないという一般的な義務を免れ、許可なしで当該貨物を輸入することができることとなると解しうべき合理的根拠は、これを見出し難い。また、税関長において関税法一三八条ないし一四〇条の規定によつて通告及び告発の措置を採つたとしても、これにつき刑事手続が必ず開始されるとは断定し得ず、ひいて当該貨物が輸入禁制品に該当するかどうかが右刑事手続において確定されるという保障はないのであるから、このことをもつて原審の判示するように関税定率法による通知等の処分性を否定する一根拠とすることもできない。)。

四そうすると、被上告人の関税定率法による通知等は、その法律上の性質において被上告人の判断の結果の表明、すなわち観念の通知であるとはいうものの、もともと法律の規定に準拠してされたものであり、かつ、これにより上告人に対し申告にかかる本件貨物を適法に輸入することができなくなるという法律上の効果を及ぼすものというべきであるから、行政事件訴訟法三条二項にいう「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」に該当するもの、と解するのが相当である。

五反対意見は、要するに、関税定率法による通知等は輸入申告に関する手続過程中における中間的措置にすぎず、これにより当該貨物を適法に輸入することができないという最終的法律効果を生ずるものではなく、したがつて抗告訴訟の対象とはならない、というのである。たしかに、輸入申告者は税関長に対して輸入許可という行政処分を求めているものであり、右に述べた税関長の関税定率法による通知等が法律上税関長の判断の結果の表明とみるべきものであることは既に述べたとおりであるから、これをもつて輸入申告という申立に対して直接応答した行政処分であるとはいえないとの意見部分は、これを首肯することができる。また、関税定率法による通知等の効果につき、法律が何ら明文の規定を設けていないことも、反対意見の指摘するとおりである。しかしながら、貨物を輸入しようとする者が、輸入申告をする以前において、又は輸入申告をした後それに対する税関長の関税定率法による通知等がまだされていない場合において、許可を受けない限り当該貨物を輸入することができないという制約は、貨物を輸入しようとする者は輸入の許可を受けなければならず許可を受けないで貨物を輸入してはならないという法律の規定(関税法六七条、一一一条参照)の一般的・抽象的な作用によるものにすぎず、特定人にあてて加えられた制約ないし効果ではない。これを別の観点からいえば、右の場合には税関長の処分その他公権力の行使に当たる行為とみるべきものが全く存在しないのである。したがつて、輸入申告者の段階において抗告訴訟を提起しうべき限りでないことはいうまでもない。これに対し、輸入申告者に対し税関長が関税定率法による通知等をした場合にあつては、それが判断の結果の表明にすぎないとはいえ、輸入申告者に対して法律の規定に基づく税関長の行為が既にされていて、既に前記三において述べたように税関長がその判断を改めない限り右輸入申告者において輸入の許可の処分を期待し得ず、当該貨物を適法に輸入することができないという制約を現に受けているのである。そして、このような制約は、既に特定人である輸入申告者にあてて税関長の関税定率法による通知等がされている以上、不特定人が受けている一般的・抽象的な制約の域を超え、その名あて人である輸入申告者が受けている特定的・具体的なものであるということができよう。すなわち、不特定人の等しく受けている制約、すなわち、許可なしに貨物を輸入することができないという一般的・抽象的な制約が当該輸入申告者に対する特定的・具体的な制約に転化変質したのは関税定率法による通知等によつてであると考えうるのである。換言すれば、当該貨物を適法に輸入することができないという輸入申告者の現に受けている制約と税関長の関税定率法による通知等との間における因果性ないし関連性の存在は、これを肯定して然るべきであろう。したがつて、輸入申告者の現に受けている上記の制約をもつて税関長の関税定率法による通知等によつて生じた法律的効果とみるのが相当であり、反対意見にはたやすく賛同することができない。

以上に述べたところと異なる見解に立つて本訴を不適法であるとした原判決には法律の解釈適用を誤つた違法があるといわなければならず、右違法が原判決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由があり、原判決は、その余の上告理由につき判断するまでもなく破棄を免れない。そして、本件は、請求の当否について審理させるため、これを原審に差し戻す必要がある。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官高辻正己の補足意見、裁判官環昌一の意見、裁判官横井大三の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官高辻正己の補足意見は、次のとおりである。

一  関税定率法二一条三項の規定による通知又は同条五項の規定による決定及びその通知(以下単に「税関長の通知」という。)が、法律上の性質において税関長の判断の結果の表明すなわち観念の通知であるとはいうものの、もともと法律の規定に準拠してされたものであり、かつ、これにより輸入申告者に対し申告にかかる貨物を適法に輸入することができなくなるという法律上の効果を及ぼすものであることは、多数意見に明らかなとおりである。右の税関長の通知が輸入申告者に対しそのような法律上の効果を及ぼすものである以上、その法律上の効果により自らの権利利益を害されたとする者がそのことにつき司法的救済を求める途の閉ざされるべき理由は全くないこと、そして、行政事件訴訟法三条二項が「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」の取消しを求める訴訟を定めているのは行政庁の第一次的判断を媒介として生じた違法状態の排除を本来の目的とする訴訟の形態としてであること、にかんがみれば、右の通知をもつて右条項にいう「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」に該当し、司法審査の対象になるものと解するのは、むしろ当然の事理というべきである(最高裁昭和二八年(オ)第一三六二号同三〇年二月二四日第一小法廷判決・民集九巻二号二一七頁の説示参照)。

二  ところで、上告人は、所論(上告理由四)において、税関長の通知を処分ではないとする原判決は税関検閲に対する攻撃を回避せんがために強弁しているという非難に甘んずべきである旨を述べ、右の税関長の通知を上記の一のとおりに解することが税関検閲に対する攻撃を忍受せざるを得ないものとなるがごとき旨をいう。その点に関する論定はここでなすべき限りでなく、もとより多数意見の触れるところでもないが、所論にかんがみ、それは、以下に述べるような点の究明をも含め、慎重厳密な検討を経てされなければならないことにつき、いささか私見を述べておきたい。

(一)  書籍、図画等の物品は、多くの場合、思想の表現を内容とするものであるから、これを思想の表明・伝達の行為に用いて一般の視聴に供することの自由が、その半面においては、一般の視聴に供されたそれを視聴することの自由が、憲法二一条一項の規定によつて保障されるものであることは、明らかである。しかし、書籍、図画等の物品が外国貨物であるとき、その物品は、輸入されて初めてわが国内で思想の表明・伝達の行為に用いる場面におかれることになるものであり、その輸入行為は、それ自体としては、言論、出版その他思想を表明し、伝達する行為であるわけではないから、輸入行為をすることの自由が、直ちに、憲法の右条項によつて保障されるという筋合いではない。もつとも、すべての者は表現の自由についての権利を有し、この権利には、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由が含まれるとし、同様に宣明された他の諸権利とともに、その増進及び擁護のため努力する責任を有するとの認識に立つて協定された、市民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和五四年条約七号。以下「規約」という。前文及び一九条2参照)と全く同一の世界的視野から、わが憲法の右条項も、外国において思想の表明・伝達の行為に用いられその外国で一般の視聴に供された書籍、図画等の物品を自国でされたものと同視し、これを自国で視聴することの自由、ひいてはその物品を輸入することの自由を保障するものであり、その自由の抑制は同条項に違反するとする考え方が生じるのも、故なしとはしない。しかしながら、規約は、同時に、わが憲法(一二条後段)がその保障する自由と権利につき国民に濫用してはならない義務と公共の福祉のために利用する責任を負わせているのと同様、表現の自由についての権利もその行使には特別の義務及び責任が伴つているのであり(規約一九条3前段参照)、したがつて、その行使が国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護のために必要とされるものである限り、法律でこれに制限を課することができるものであるとし(規約一九条3後段参照)、書籍、図画等の物品が国境を越えて流入する際にそのような目的の法律によりその流入が規制されることのあるべき旨を明らかにしている。わが憲法二一条一項の規定の解釈上、規約と同一の世界的視野から前記のような考え方が生じるとしても、規約と同一の立場からすれば、関税定率法二一条一項の規定がその各号に掲記する貨物を輸入禁制品としてこれを輸入することの自由を抑制することにしているのは国法が規約に掲げられているのと同様な公共の福祉上の要請にこたえるために定めたものであるとする考え方が生じるのも、故なしとしないことになろう。この場合、輸入に際して輸入されようとする外国貨物が輸入禁制品に該当すると認められるものかどうかを行政機関が審査する過程の介在することを免れないが、その過程においてした行政機関の判断の結果の表明が司法機関の審査に服し、その判断の是非が司法機関の判定にゆだねられることを保障されているのであつても、なお、右の過程における審査が憲法二一条二項の意味する検閲に当たると解すべきものかどうかは、究明に値する一個の問題点であり得よう。

(二)  他面、書籍、図画等の物品も物品であるからには、その内容が思想を表現するものかどうかということとは別に、わいせつなものであるなど物品としてのその物に顕現され、その物自体の資質をなすと認められる何ものかがあつても、おかしくはない。書籍、図画等の物品が、右のような物自体の資質の観点において一定の評価を下されること、その物品の内容に表現されているかも知れない思想の観点において一定の評価を下されることとが、観念上区別されるべきものであることは、いうまでもないところである。国際条約の実定規定(たとえば、猥褻刊行物ノ流布及取引ノ禁止ノ為ノ国際条約(昭和一一年条約三号)一条(二)、四条、万国郵便条約(昭和五〇年条約一七号)三三条2・3、三四条)に徴すると、その基底には、国際社会において、国家は外国貨物であつてその物自体の資質が自国の国益に反するものまで輸入するようにしなければならない拘束をその外国に対して負うものではなく、外国貨物を輸入するようにするかどうかはその貨物の物自体としての資質が自国の国益と相いれないものかどうかの観点においてそれぞれの国家がその裁量により決しうるという一般原則が、存在するものとみられる。これらの点を併せ考えると、表現の自由を一義的に保障し、その事前の抑制を排斥する憲法二一条一項の規定が、書籍、図画等の物品を輸入することの自由を、わいせつなものであるなど物品としてのその物に顕現され、その物自体の資質をなすと認められるものいつさいに目を閉じてまで、かつ、国際社会の一般原則につき自国の国権に制約を加えるとの特段の趣意をもつてしてまで、それをしようとする者に対し、保障しているものであるとも、にわかに解しがたい。そうすると、外国貨物を輸入することであつても、それはなお、これをしようとする者の社会生活上の一般的自由に属するものであり、その自由に対する権利の尊重が必要とされるのは公共の福祉に反しない限りにおいてであると解される(憲法一三条後段参照)ところ、関税定率法二一条一項の規定がその各号に掲記する貨物を輸入禁制品としてこれを輸入することの自由を抑制することにしているのは、当該貨物の物自体としての資質が自国の国益と相いれないものかどうかの観点から国法がわが国における公共の福祉を維持するために定めたものである、との考え方にいわれがないとは速断しがたく、この面においてもまた、検討の余地があるといわなければならない。その検討の結果、もしも右の考え方にいわれがあるものとされ、風俗を害すべき書籍、図画等の物品の輸入を右の観点から公共の福祉に反する限りにおいて禁止することが憲法の許容するところであり、その禁止を実際に国法で定めることにするというのであれば、輸入に際して輸入されようとする特定の物品が輸入禁制品に該当すると認められるものかどうかを審査する過程の介在を免れず、それに該当すると認められるのに理由があると判断されることになれば、その物品を輸入することが禁止され、これを思想の表明・伝達の行為に用いることもできないということになる。しかし、それは、当該物品が輸入禁制品に該当すると認められるものであり、その輸入が、憲法上、適法に禁止されることの当然の結果であるにすぎないのであつて、表明され伝達されようとする思想の内容がどのようなものであるかとは何のかかわりももつものではなく、もとより、その輸入しようとした者が当該物品と同等の物品を自ら作成し又は他から入手し、これをその思想の表明・伝達の行為に用いることを、事後における刑事手続による規制の加えられる余地があることは別として、妨げるものではない。それでもなお、右の過程においてされる審査が憲法二一条二項の意味する検閲に当たると解すべきものかどうか、これも究明されるべき一点であることを失うまい。

裁判官環昌一の意見は、次のとおりである。

私は、税関長が輸入許可を求める旨の申告をした者に対して関税定率法(以下「法」という。)二一条三項に定める通知、同条五項に定める決定及び通知をした場合においては、その者は行政事件訴訟法三条二項に定める処分の取消しの訴えを提起することができるものと解するから、これと見解を異にする原判決は破棄を免れず本件はこれを原審に差し戻すべきものであるとする結論については多数意見と同じであるが、右の場合における税関長の行為の法的性格について多数意見と見解を異にするところがあるので、以下私の意見を述べることとする。

一  法二一条一項の規定によればその各号に定める貨物(以下全体としては「各号貨物」といい、同項三号に定める貨物を「三号貨物」、同項一号、二号及び四号に定める貨物を合わせて「一、二、四各号の貨物」という。)は同項一号但書の場合を除いてはこれを輸入してはならないとされ、これに違反して各号貨物を輸入した者すなわちわが国に到着したこれらの貨物をわが国内に引き取つた者は処罰され(関税法一〇九条)、かつ当該貨物は没収される(同法一一八条一項)ものとされていること、一、二、四各号の貨物で輸入されようとするものは税関長がこれを没収して廃棄し、又はこれを輸入しようとする者にその積みもどしを命ずることができるものとされていること(法二一条二項)、三号貨物についても他に法、関税法その他の法令にこれを輸入することを許容する特別の規定の存しないこと、などの諸点を総合すると、各号貨物のわが国内への引取り行為については、通常の貨物の輸入について定められた輸入の許可、不許可等に関する関税法の規定は本来適用されず、輸入の許可を求める申告があつたときは税関長は当該貨物について検査を行い(関税法六七条参照)そのうえでそれが各号貨物のいずれかに該当するかどうかを第一次的に判断する権限を有し、これに該当する旨の税関長の判断(以下「該当する旨の判断」という。)のあつた場合においては、当該貨物が各号貨物のいずれにも該当しないものである等自らの見解に基づいてその輸入の許可を申告している者(以下「申告者」という)。は、該当する旨の判断の結果として、当該貨物の上に有する所有権その他の財産権を喪失することとなるか(没収・廃棄の場合)少なくとも国内においてこれを行使することができないこととなるもの、と解される。

以上の見地に立つて考えると、該当する旨の判断が申告者に通知されたとき(従前から実務上一般に行われてきた事実上のものであるにもせよ、一、二、四各号の貨物についてもこの通知がされるものであることは、被上告人も認めるところである。)、当該貨物は輸入禁制品に当たるものであることが確定するのであつて、それは、税関長が法律、直接には法二一条により認められた権限に基づいてした行政行為として申告者を拘束する法的効果をもつものというべきである。この意味において、私は、法二一条二項の規定との対比上、同条三項の規定による通知並びに同条五項の規定による決定及びその通知をもつて行政庁の観念の通知であると見るべきものとする多数意見と、見解を異にするのである。そして、これを実質的に見ると、本件上告人のように該当する旨の判断を受けながらあえて輸入の申告を維持する申告者は、その理由はともあれ当該貨物について法二一条の適用がなく関税法六章に定める規定の適用があることを主張してその輸入の許可を現に求めているものであるから、このような申告者と税関長との間には裁判による解決に適する法二一条の解釈適用をめぐつての具体的な紛争が存在しているのである。したがつて、申告者は抗告訴訟により該当する旨の判断そのものの取消しを求めることができるものといわなければならない。

私は、以上のように解するから、昭和三六年法律第二六号による法の改正の前後を問わず、あるいは三号貨物と一、二、四各号の貨物との別なく、該当する旨の判断がされそれが申告者に知らされた段階で直ちに、すなわち法二一条二項に定める没収等の処分や同条五項に定める決定、通知をまつまでもなく、申告者は該当する旨の判断に対し抗告訴訟を提起することができるものと解するのである。

二  私は、以上のように、関係法律、特に法二一条の解釈上該当する旨の判断の段階で速やかに申告者に対し司法救済の途を認めることができると考えるのであるが、これを別の側面、すなわち同条の規定が後述のように憲法上の見地から見て少なからず疑問点を包蔵する異例ともいうべき立法であると考えられることに徴しても、右の解釈を採ることには実質的にも合理的な理由があると思うのである。このような趣旨から、私には、多数意見が法二一条に関する憲法上の問題については何らかの具体的な見解を予定するものとは思われず、また、それは、多数意見が上告人の本件訴えを不適法として却下した原判決を破棄すべきものとするのであるから当然のことと考えられるのであるが、私は、あえて前記疑問点と考えるところの若干を指摘しておきたい。

先に述べた該当する旨の判断という行政行為のもつ前記のような財産権の制約の観点から見ると、各号貨物につき共通する疑問点として、(1) 法文上その該当要件が必ずしも内容において明確であるとはいえず、その判断に際し税関長の主観に基づく要素の混入するおそれなしとしないこと、(2) 法文の文言上、各号貨物の中には、例えば浮世絵の収集家などが個人的使用の目的をもつてするように、国内においてこれを所有すること等が他の法令によつては何ら制限されていないような物品までも含まれていると認められるのであるが、それが輸入にかかるものであるということが果して制約の合理的根拠として十分であるかどうか疑いなしとしないこと、(3) 三号貨物に関する異議申出の制度を除いては予め申告者の主張するところが考慮されるような実効性のある手続が全く設けられておらないこと、右の異議申出制度も、申告者に対し輸入映画等審議会への出席はおろか資料の提出さえも制度的にこれを保障していないものであるのみならず、その答申も税関長を拘束するものでないと解されること、などの諸点を指摘することができるであろう。とりわけ三号貨物については、(4) それが一般にいわゆる表現にかかわる物品を主体とするものであり、特にその中には印刷物が含まれ、国内においてこれを公表することができないこととなるものであること、(5) 特にその該当要件の表現として旧憲法のもとにおける法文の語句がそのまま踏襲されており、表現の自由の保障を格別に重視する現行憲法のもとにおいてこれを適切、妥当に解釈してその運用を誤らないことは必ずしも容易ではないと思われること、(6) 表現にかかわる物品について、行政機関である税関長が国内におけるその公表に先んじてその内容を審査し、その判断いかんによつては国内における公表が許されないこととなるものであること、(7) 該当する旨の判断とその通知には申告者に警告を与えてその再考を促すことにより申告者の自発的意思によつて国内への引取りをあきらめさせようとする目的があるとしても、その通知を受けた申告者にとつてはその背後にある刑罰の脅威は強力であり、通知の事実上の強制力は通常恐らく絶対的であると考えられるから、申告者の自発的意思を論じても実質的に無意味であると思われること、などの諸点が検討の対象とされるべきであろう。

私は、今ここにこれらの疑問点についての当裁判所の判断を示すべきではないと考えること前述のとおりであり、また私見のように該当する旨の判断に対し抗告訴訟の提起を認めることによつてこれらの疑問点のすべてがたやすく解消し去るものでもないことはいうまでもないが、右に指摘したような少なからぬ疑問点が存することからしても、該当する旨の判断がされた段階で速やかに、これに対して憲法判断を本来の職責とする裁判所による審査の途が開かれているものと解するのが、合理的であると考えるのである。

裁判官横井大三の反対意見は、次のとおりである。

私は、原判決を破棄すべきものとする多数意見に反対し、本件上告はこれを棄却すべきものと考える。したがつて、原判決の結論は支持するが、理由は異なる。以下に私見を述べる。

一  本件において税関長のした関税定率法二一条三項の通知及び五項の決定通知(以下「本件通知」又は「税関長の通知」という。)は、輸入申告にかかる貨物が同条一項三号の物品に該当するという税関長の意見を表明する行為であつて、輸入を許さないという法律効果の発生を意図した一般のいわゆる行政処分とは趣を異にする。もちろん、このような行政庁の行為であつても、その行為に対して、法律が特に一定の法律効果を付与している場合がある。そのような行政庁の行為は、これに対する司法的救済の面で、その法律効果の発生を意図した行政処分と同様に取り扱つても差しつかえないであろう。しかしながら、本件通知については、法律は、そのような法律効果の付与につき全く規定するところがない。したがつて、このような税関長の通知に対し、行政事件訴訟法上の抗告訴訟の対象たる適格性を付与することはできない。もつとも、本件通知があれば、輸入申告をした者は、結局当該貨物を適法に輸入できないことになるであろう。しかし、それは、本件通知に伴う法律上の効果ではない。輸入許可がないということのためであつて、すべての貨物は税関長の輸入許可がない限り適法に輸入できないという関税法上の原則の一つの適用事例にすぎないのである。

税関長の通知という制度が関税定率法二一条一項のいわゆる輸入禁制品中同項三号の物品についてのみ取り入れられたのは、その物品の性質上、輸入禁制品に該当するかどうかの判断を慎重にするとともに、輸入の申告をした者に、輸入手続の中間段階で、税関長の見解を伝え、輸入を思いとどまるかどうかを含む対応策を考慮する機会を与えようとするためであると思われるのに、その税関長の通知の段階で、これに適法には輸入できないという最終的法律効果を直接結びつけてしまうのは、この制度の趣旨にも反すると思う。

二  そのように考えると、税関長の通知は、輸入申告に対する中間的措置であつて、その段階では、すでにされている輸入申告に対しては、税関長の応答がまだない状態にあるものといわざるを得ない。多数意見は、関税定率法二一条一項三号の物品については、右のような税関長の通知があつた以上、その輸入申告に対し税関長が改めて何らかの行政処分をすることはおよそ期待されないという。この見解は、右物品が関税に関する法令上の輸入禁制品であるため、関税法上の輸入申告に関する規定、より広くいえば、通関に関する規定の適用がなく、かかる物品を輸入し又は輸入しようとすれば、禁制品輸入罪(関税法一〇九条)が成立するにとどまるという考えに基づくものと思われる。しかし、私は、この見解に賛成できない。例えば、覚せい剤は覚せい剤取締法により絶対的な輸入禁制品となつているが(同法一三条、四一条参照)、関税に関する法令上の輸入禁制品ではなく、関税法は、むしろこれを輸入制限貨物として、通関に関する手続の適用を予定するとともに、関税法上の没収に関する規定を適用すべきものとしている(関税法一一八条参照)。しかしながら、同じく法律による絶対的輸入禁制品でありながら、関税定率法二一条一項各号掲記の輸入禁制品(同項一号のあへんについては、政府が輸入するもの及び政府の許可を受けた者が輸入するものを除外しているので、この部分に関する限り、あへんも絶対的輸入禁制品とはいえないことになる。)については通関に関する規定の適用がなく、したがつて、輸入申告もありえず、税関長の輸入許否決定の権限もないとするのは合理的でない。のみならず、関税定率法二一条一項各号の物品中三号以外の物品についても、それに該当するかどうかに争いの予想されるものも少なくない。例えば、特許権や著作権を侵害する物品などがそれである。したがつて、すべての物品について、輸入しようとする者は必ず輸入申告をすべきものとし、輸入申告があつたときは、税関長は、当該物品が関税に関する法令上の輸入禁制品であると否とを問わず、輸入許否の決定をし、その通知をすべきものと解するのが合理的である。

三  関税定率法二一条一項各号の物品を輸入した者は、その予備、未遂を含めて厳重に処罰される(関税法一〇九条)。また、同項一号、二号及び四号の物品については、税関長は、発見次第、没収して廃棄し、又は積みもどしを命ずることができることとされている(関税定率法二一条二項)。右のうち、厳重処罰の規定はともかく(覚せい剤の輸入は、より厳重に処罰されることになつている。覚せい剤取締法六四条)、没収・廃棄、積みもどし命令に関する規定は、関税定率法上の輸入禁制品についてのみ適用されることになつているので、かかる輸入禁制品はこれを輸入申告、輸入の許可・不許可という一般の通関手続の枠外に置き、没収・廃棄、積みもどし命令をもつて税関におけるすべての処理を終わるというのが立法の趣旨であると考えられないこともない。そのような立法が賢明であるかどうか、合理的であるかどうかには疑問があるが、かりに、当初の立法の趣旨がそうであつたとしても、その後の改正により関税定率法二一条一項各号の物品中三号の物品については、没収・廃棄、積みもどし命令に関する規定の適用を排除したうえ、税関長の通知という制度を導入したのであるから、私のようにこの税関長の通知に輸入不許可と同様の法律効果を認め得ないとする以上、右物品については、関税法の原則にもどり、通関手続に関する規定の適用を認め、右物品に関する輸入申告は、税関長の最終的な応答のないまま、適法に税関に係属しているものと解せざるを得ないのである。

四  このような理由から、私は、税関長の通知をもつて行政事件訴訟法の抗告訴訟の対象たる行政処分に当たらないとする原判決の結論には賛成するのであるが、原判決が、税関長の通知にもかかわらず輸入の意思を翻さない申告者に対しては、税関長は、関税法一三八条ないし一四〇条の規定による通告及び告発の手続をとるべきものとし、当該物品が関税定率法二一条一項三号の輸入禁制品に該当するかどうかは、右告発に基づいて行われる刑事裁判手続において確定されるとする点には賛成しない。通告、告発、刑事裁判手続という過程はもちろん考えられるのであるが、それ以外に、輸入申告に対する税関長の不許可の決定という行政処分に対する抗告訴訟の過程においても、当該物品が関税定率法二一条一項三号の輸入禁制品であるかどうかが確定されるものと考える。しかも、かりに税関長の通告、告発があつても、検察官の起訴不起訴の裁量行為(刑訴法二四八条)が介在することを考えると、必ずしも刑事裁判手続につながらないので、輸入申告者にとつては、むしろ税関長の不許可処分に対する抗告訴訟の方が好ましいであろう。もし税関長が輸入申告に対する許否の応答をしないときは、輸入申告をした者より税関長の不作為の違法確認を求める等の方法により司法的救済を求めることができるものと解する。

(服部高顯 江里口清雄 高辻正己 環昌一 横井大三)

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